昌徳宮<ユネスコ世界文化遺産>
ソウル鍾路区臥竜洞にある朝鮮時代の宮廷.1963年 1月 18日史蹟第122号に指定された.1405年(太宗 5) 完工されたし,面積 43万 4877㎡である.太宗(太宗)が即位した後 1404年(太宗 4) 漢城(漢城)の郷校洞(郷校洞)に離宮(離宮)を作り始めて翌年完工して昌徳宮だから名付けた.その後ずっと仁政殿(仁政殿)·宣教殿(宣政殿)·ソドックゾン(昭徳殿)·ビンギョングダング(賓慶堂)·日程前(麗日殿)·正月前(浄月殿)·沃化だ(玉華堂) など多い殿堂を建立したが,1412年トンファ門(敦化門)を建立して宮廷の面貌を取り揃えた.
昌徳宮は朝鮮王朝第3代太宗 5年(1405) 景福宮の離宮で建てられた宮廷で創建の時昌徳宮の停電である仁政殿,片箭である宣教殿,沈澱である煕政堂,大造殿など重要全角が完成された.その後太宗 12年(1412)にはトンファ門が建立されたし世祖 9年(1463)には約 6万2千坪だった後援を広げて 15万余坪の規模で弓衣経営役割を大きく確張した. 壬辰の乱の時消失したことを先祖 40年(1607)に重建し始めて光海君 5年(1613)に工事が終わったがまた 1623年の仁祖反正時仁政殿を除いた大部分の全角が消失してから人造 25年(1647)に復旧された.その後にも何回火事があったし,1917年に大造殿科煕政堂イルグァックが消失して 1920年に景福宮の嬌態前·康寧前など多い建物を撤去して昌徳宮に移転した.
昌徳宮は 1610年光海君時正規の宮で使った後から 1868年高宗が景福宮を重建するまで 258年の間歴代帝王が情事を面倒を見て来たボブグングだった.昌徳宮の中には一番古い宮廷正門であるトンファ門,臣下たちの祝賀会式や外国使臣の接見場所で使われた仁政殿,国家の情事を論じた宣教殿などの歯槽空間があり,王と王后及び王家一族が住む煕政堂,大造殿などの沈澱空間外に宴会,散歩,学問ができる非常に広い空間を後援で造成した. 停電空間の建築は王の権威を象徴して高くしたし,沈澱建築は停電より低く簡潔であり,慰楽空間である後援には自然地形を威圧しないように小さな丁字閣をたくさん立てた. 建物配置において正規の宮である景福宮,仮宮である昌慶宮と慶喜宮では正門から停電,片箭,沈澱などが一直線上に対称に配置されて宮廷の威厳性が強調されたところ惚れて,昌徳宮では正門であるトンファ門は正南香餌高,グングアンに入ってクムチョン校が動向に進入されているしまた北に仁政殿,宣教殿など停電が位置している.そして片箭と沈澱は皆停電の東に展開されるなど建物配置がいろいろな軸に成り立っている.
今日自然な山勢によって自然地形を大きく変形させないで山勢に頼って人為的な建物が自然の樹林の中になごやかに席を取るようにした配置は自然と人間が作り出した完全な建築の表象だ.また,王たちの休息所で使われた後援は 300年が過ぎた巨木と池,精子など兆ウォン施設が自然と調和を成すことで建築史蹟にまた造景史蹟側面で除くことができない貴重な価値を持っている.後援は太宗 5年(1405) 昌徳宮を創建する時後援で造成したし,昌慶宮とも通じるようにした. 昌徳宮後援は我が国の代表的な伝統兆ウォン施設として自然的な地形に花と木を植えてくぎを売って美しくて調和ありげに建物を配置した. 大部分の精子は壬辰の乱時消失したし今残っている精子と全角たちは人造元年(1623)以後個数·建て増しされたのだ.こちらには各種稀な樹木が生い茂っているし,多くの建物と池などがあって王と王妃たちはこちらで余暇を楽しんで心身を修養するとか学問を修めて宴会を施した.
昌徳宮は朝鮮時代の伝統建築で自然景観を背景にした建築科造景が高度の調和を表出しているし,後援は東洋造景の定数を鑑賞することができる世界的な造形の一断面を見せてくれている特徴がある. 昌徳宮の歴史に対する記録は 「朝鮮王朝実録」,「宮廷だ」,「昌徳宮造営儀軌」,「ドンググォルも」 などに記録されている.特に 1830年頃にグリーン 「ドンググォルも(国宝第249号)」が昌徳宮の建物配置と建物形態を絵で伝えているし,宮廷社と宮廷建築を研究考証するのに貴重な資料になっている. 昌徳宮は史蹟第122号と指定管理されているしトンファ門(宝物第383号),仁政門(宝物第813号),仁政殿(国宝第225号),大造殿(宝物第816号),旧宣教殿(宝物第817号),宣教殿(宝物第814号),煕政堂(宝物第815号),香木(天然記念物第194号),猿梨の木(天然記念物第251号)などが指定された.昌徳宮は 1997年 12月ユネスコ世界文化遺産に登録された.