良洞村
1984年12月24日村全体が国家指定文化財(重要民俗資料第189号)に指定されていて慶州市の北側、雪創山に囲まれている慶州ソン氏大宗家とヨジュ・イ氏大宗家が5百年間伝統を繋いで来た由緒ある両班の村だ。
韓国最大規模で、李朝時代の同姓集落として慶州市から東北方向に20kmくらい離れていて美しい自然環境の中に数百年になる瓦の家と低い石垣道が続いていて 通鑑続編(国宝 第283号)、無笙堂(宝物 第411号), 香壇(宝物 第412号), 観稼亭(宝物 第442号)、孫昭影ジョン(宝物 第1216号)などを始め 書百堂(重要民俗資料 23) など重要民俗資料13点と 孫昭和先生分財記(慶尚北道 有形文化財 第14号)など 都指定文化財5点、キョンサン書堂(郷土文化財)など市指定郷土文化財8点がある。 特にこの町は韓国でもめずらしい両班村で観光客もこの村では韓国的礼儀を持たなければならない。
村の歴史 良洞民俗村にいつから人が住むようになったのかは正確な文献記録がないが、青銅期の墓制の1つの石棺墓村の案山であるソンジュ山頂上の丘陵地に約100ヶ所あったと考古学者達の報告から考えると紀元前(B.C.4世紀以前)に人間が住み始めたと見られる。 また隣村 安渓里に古墳群があった事実から見て既に三国時代の4-5世紀頃に相当の勢力を持つ族長級に当たる有力者が住んでいたものと推測され、高麗から朝鮮初期に至るまでは、吳氏、牙山 蔣氏が小さな村を形成していたと言う。 その後、イ クァンホの再従曽孫で 成宗の寵愛を受けた成均成員賛成公、李蕃が ソンソの7人の子供の中の長女と結婚し迎日からここに移り住み、彼の長男でドンバン5ヒョンの 1人である文元公 晦齋 李彦迪(1491-1553)先生が輩出されソン氏、李氏両家族により今日のような良洞民俗村が形成される事になった。
村の規模及び自然環境 村の裏の背景でもあり主山である雪創山の文章峰から尾根筋が延び下がり4つの分かれた稜線が「勿」の字の地勢を作っているが、これについては伝わる話が多い。 一例では「勿」の字の愛他の部分に線を1つ加えると「血」の字になると言い、日帝が計画的に村の中に鉄道を通過を迂回させたし、南向きだった良洞初等学校の建物を東向きに回したてたと言う。 良洞民俗村は内谷、勿峰谷、居林、下村の4つの谷と勿峰丘とスゾルダンの裏丘の2つの尾根筋、そして勿峰谷を越え渴求德で構成されていて約500年の伝統を香らせる総150余りの古家屋と藁屋が深い森中に広がっている大きい村だ。
交通アクセス

バス - 乗下車 : 慶州駅で乗車 → 良洞村の 下車 → 村入り口から村まで徒歩距離1.2km - バス番号 : 慶州駅から200、201、208、212、217番市内バス利用(7分間隔、所要時間40分) →  良洞村入口で下車 → 村まで 1.2km 徒歩 - 運行会社 : チョンマ交通82-54-776-8905, ハンイル交通82-54-772-4885

乗用車
- 京釜高速道路 永川 I.C → 永川市内 → アンガン方面 28番国道利用、約34km距離に良洞民俗村入口 → 右折し1.2km → 良洞村 - 慶州駅から 浦項方面 7番国道利用、19km進行 → がんどん I.Cから アンガン側28番国道に入り、2km → 良洞村入口(第2ガンドン 大橋)から右折し 1.2km → 良洞村